メンタルヘルスで傾聴という行為が重要と思い、前回に引き続き考えるところを述べます。
私がこの傾聴という行為に気づいたのは自分の行動の反省からです。
そして傾聴という言葉を知ったのはつい最近です(正確にはもっと以前から耳にはしていたと思いますが、特に気にもとめず聞き流していました)。
しかし人によってはこの逆のパターンもあるのではないでしょうか?
何か技術的な知識習得が必要で、その際に傾聴という言葉、傾聴という行為を知り実行している場合です。
どのような道筋でその人が「傾聴」に至ったか、基本的には問題ではないと私は考えています。
ただし後者の場合、次のような時、傾聴を実践する前よりも人とのコミュニケーションあるいは信頼関係が揺らぐ、更には破壊される問題がはらんでいるようです。
それは傾聴が表面のみであること、俗的な言い方をすると面の皮(つらのかわ)が厚いことが相手に知られてしまった場合です。
こういったパターンに陥るのは、知識や技術論に固執し、更には自分が左記のような心的傾向にあることに気づかず、その知識や技術論をひけらかすことに生き甲斐を感じている人に多いようです。
「傾聴」という言葉はコミュニケーションで必要と思われる方法を表現したものであって、知識や技術論のためのシンボルマークではないのです。
傾聴もメンタルヘルスでは重要な、「こころ」からの行為なのだと思います。
みなさんの周りではご自分も含め、如何でしょうか?


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